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【海月】現代時間軸
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春の麗らかな風の吹く丘。日差しも柔らかく、何処からともなく鼻をくすぐる良い香りが漂ってくる。
「はぁ~…心地のいい場所ですねぇ」
誰にあてたわけでも無い、その人にしては珍しく優しい声色で囁かれた音は、突然勢いづいた風に攫われ消えていった。
先日、陰陽寮にて受注した任務遂行の為、目的地への道中を一人歩みを進める最中であった。念入りに視察されたであろうその経路は流石と言うべきか、安全そのもので。
「なんだかなぁ……」
珍しく大きな仕事を一人任されたものだとくすぐったい気持ちになったものだが、何のことは無い。所詮「中忍」である己の身の丈に合った舞台を用意されただけのようである。
普段は愛想笑いの絶えない海月であったが何と言っても今は一人でいるわけで、誰かに機嫌を取る必要もないわけで。落胆を隠さない表情そのままに晴天を仰ぎ、嗚呼と大袈裟にため息をもらしたのだった。
そう、この任務を命じたのは彼の祖父であり、忍の道を行く上で師とも言うべき存在、山葵だ。大抵の場合祖父の修行は無理難題を強いてくるものであるが、思い返してみるとそれも山葵同伴の任務に限られていた気がする。海月自身、自覚するところではあったがやはり山葵は何だかんだ言って自分に甘い気がする。『たった一人だけ生存している孫』ともなれば致し方ない気もするが。じじバカとでも言ってしまおうか。
海月の生まれはとある霊山の山深い場所に築かれた忍里であり、その地には古来より人と妖が共存していた。時に人間社会の表舞台を生きる者の影として暗躍し、またある時には人に仇なす魑魅魍魎の退治に奔走する…そうした者達の集落であった。人と妖の共存する地と言えば聞こえは良いが、実際には二つの種族の狭間の者達が、行き場を無くした結末のその形とも言える。
そこで暮らす者の中には不可視の存在が見えるが故に人間社会から省かれた人の子、その身に妖の血を流すが故に人ならざる力や感情を持ち、人となる事が叶わなかった者などが流れ着き混在していた。とは言え、先祖からその地に連なる者も多く、斯く言う海月もその一人であった。
「すっごい田舎」
己の故郷を思えば他所の事をとやかく言えた義理ではないが、文明の利器とは程遠いその緑美しい大自然を丘の上から展望すると、ふいに口をついてしまっていた。所々この近くに暮らす少数の人間のみが拓いたであろう歪な自然への干渉が見て取れた。上手く運べばこの辺で宿をとれそうだ、そんな事をぼんやりと考えながら耳を塞いでいたヘッドホンを外した。
繊細な音が数を増し賑やかな世界を作っていく。目を瞑って欲しい音だけ拾っていく。ずば抜けた聴力は遺伝的に持っている海月の特技だった。
「見つけた」
人の音が密集するその場を聴き取ると、いつもの調子でにっと笑みを浮かべてから、先ほどまで展望していたその丘の切り立つ場所に赴き身を乗り出した。此処からそう遠くは無いが悠長に構えていては日が暮れるか、と言った距離だ。人は夜が更けてから訪ねて来るよそ者に対してはどうしても警戒の念を抱いてしまい勝ちだ。日が落ちる前に辿り着きたきたいところだった。
「急ぎますかね」
言うが早いか、颯爽と丘を駆け下りていくのだった
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基本的に、大きな任務は祖父の山葵にと共に、、、。ここぞと言う場面でやらかしてしまう孫の性質を心配しての事。山葵は、”いずれ海月を忍里の長”にしたい…それが夢。それまでは自分も死なないと決めているのだとかで。